被占領期の日本/憂國大和魂座談会
日本人は戦時中にどのように戦ったのか。
その姿を知ってもらいたい。
そして、日本人の心とはどのようなものなのか、についても感じ取ってもらいたい。大田実中将の電報がそれを書き残している。
関連動画:【撫子日和】沖縄県民斯ク戦ヘリ、大田實少将の将旗が帰還[桜H24/5/22] - http://bit.ly/19qnZwW
まずは、人物紹介から。
大田実/おおたみのる
明治24年4月7日〜昭和20年6月13日は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。千葉県長生郡長柄町出身。
第二次世界大戦後の激戦であった沖縄戦では、海軍最先任者として沖縄根拠地隊司令官を務め、米軍上陸時に約1万人の部隊を率いて沖縄本島小禄半島での戦闘を指揮。
陸軍の首里から摩文仁への撤退に際して、海軍司令部は作戦会議に呼ばれず、直前の5月24日ごろ(異説あり)になって初めて知らされたとされる。
いったんは完全撤退と受け止め、重火器を破壊して南部への撤退を始めるが、後に、第32軍司令部の撤退を支援せよとの命令を勘違いしたことがわかり、5 月28日には再び小禄へ引き返した。
6月2日に改めて、摩文仁へ撤退せよとの命令が出されるが、大田は今度は従わなかった。
命令を意図的に無視したのか、米軍に退路を断たれて撤退できなかったのかは不明である。
米軍の攻撃により司令部は孤立し、大田は那覇小禄地区豊見城にあった海軍壕内で拳銃で自決した。死後海軍中将に特別昇進する。
自決する直前の6月6日に海軍次官宛てに発信した電報は広く知られている。当時の訣別電報の常套句だった、天皇陛下万歳・皇国ノ弥栄ヲ祈ルなどの言葉はなく、只管沖縄県民の敢闘の様子を訴えている。